大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和46年(行コ)77号 判決 1976年1月29日

控訴人(原審昭和三七年(行)第六号事件被告)

千葉県教育委員会

右代表者

東平久雄

控訴人(原審昭和四二年(行ウ)第一七号事件被告)

千葉県

右代表者

川上紀一

右控訴人両名訴訟代理人

三橋三郎

外四名

被控訴人(原審昭和三七年(行)第六号、

昭和四二年(行ウ)第一七号事件原告)

渡部浩

右訴訟代理人

田原俊雄

主文

原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。

被控訴人の控訴人らに対する各請求を棄却する。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一本件解職処分

被控訴人が昭和三七年三月東京教育大学を卒業し、同年四月一日控訴人千葉県教育委員会(以下単に控訴人委員会という。)から千葉県公立学校教員として条件付で採用され、以来同県我孫子町立我孫中学校に勤務していたところ、控訴人委員会が同年九月二九日被控訴人を解職処分に付した事実は当事者間に争いがない。

第二条件付採用職員(地方公務員)に対する解職処分と任命権者の裁量権

地方公務員法(以下「法」という。)二二条一項は、地方公務員の採用につき「臨時的任用又は非常勤職員の任用の場合を除き、職員の採用はすべて条件付のものとし、その職員がその職において六月を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに正式採用になるものとする。………」と規定し、いわゆる条件付採用制度をとることとしているが、この制度の趣旨、目的は、職員の採用にあたつて行なわれる競争試験又は選考の方法(法一七条三・四項)がなお職務を遂行する能力を完全に実証するとはいいがたいことに鑑み 試験又は選考により一旦採用された職員の中に適格性を欠く者があるときは、その排除を容易にし、もつて職員の採用を適格性の度合いの実証に基づいて行なうとの成績主義の原則(法一五条)を貫徹しようとするにあると解される。従つて、条件付採用期間中の職員は、いまだ正式採用に至る過程にあるものということができるのであつて、右職員の分限につき正式採用の職員の分限に関する法の規定の適用がないこととされているのも(法二九条の二、第一項、昭和三七年法律第一六一号による改正前の地方公務員法二八条四項)、このことを示すものにほかならない。そして、以上のことは、法五七条の規定を承けた教育公務員特例法一三条の規定並びに教育職員免許法三条の規定に基づいて相当の免許状を有する者の中から選考によつて採用される地方公務員たる教員についても同様であつて、何ら異なるところはない。

しかし、条件付採用職員といえども、既に試験又は選考という過程を経て勤務し、現に給与の支給も受け、他の職場への就職の機会も放棄して正式採用になることの期待を当然有するものであるから、右職員を解職にするための分限事由にはそれ自体おのずから制限があり、客観的に合理的な理由が存し、社会通念上相当とされるものであることを要すると解される。法はこの点につき具体的な分限事由を設けず、単に二九条の二第二項(前示改正前の法二八条五項)において「条例で必要な事項を定めることができる。」規定して、右条例の制定及び分限の事由、手続等一切を各地方公共団体の自律的制定に委ねているが、千葉県ではその条例がいまだ制定されていないことは控訴人らの主張に照らし明らかである。しかしこの場合でも法は県に全く無限定な分限を許したものでないことは、適用除外を規定した前記法二九条の二第一項(前示改正前の法二八条四項)がわざわざ法二七条一項の規定をはずし、条件付採用職員等の分限についても同条項の規定の適用を受けて「公正でなければならない。」としているところからも知ることができる。

因みに国家公務員法は、条件付採用期間中の職員の分限につき、同法八一条二項の規定で、人事院規則においてそれを定めることができる旨定め、これを承けた人事院規則一一―四(職員の身分保障)九条が「条件付採用期間中の職員は、法七八条四号に掲げる事由に該当する場合又は勤務実績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には、何時でも降任させ、又は免職することができる。」と規定していることに照らすと、正式採用職員の分限に関し右国家公務員法七八条所定の分限事由と同等の事由を定める地方公務員法(二八条一項)のもとにおいても、同じ条件付採用職員につき人事院規則九条の規定に準じて分限事由を考えることが、公務員法の目的・精神、条件付採用制度の意義に照らして相当である。もとより前述のように職員の条件付採用制度が、法の原則である成績主義の貫徹に原由していること、及び正式採用するか否かを決する最終段階の選択方法としてとられていることに鑑みれば、適格性の有無の判断については正式採用職員の場合に比較して任命権者により広い裁量権が与えられているものと考えるべきであるが、しかしそれは純然たる自由裁量ではなく、前示のように合理的な判断の限界を超えてはならないことは言をまたないところである。

そこで以下、右のような見地に立つて控訴人ら主張の本件解職処分の適否について判断する。

第三本件解職処分の理由について

一控訴人らは被控訴人が中学校教諭としての適格性に欠けると判断した根拠として、一九個の事実を挙げ、これを「1職務の状況、(1)学級経営((イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ))、(2)学習指導((イ)・(ロ)・(ハ))、(3)生活指導((イ)・(ロ)・(ハ))、(4)校務の処理((イ)・(ロ)・(ハ))、2服務の状況、(1)責任感、(2)協力((イ)・(ロ)・(ハ)(ニ))、(3)規律」として分類して主張するので、右主張事実の存否及び程度、態様等について逐次検討することとする(以下この項においては特に年を示さない限り昭和三七年を指すものとする。)。

1  (控訴人ら主張1、(1)の(イ))教室の壁の破損について<証拠>によると、我孫子中学校校長田口弥一郎は、五月下旬頃校内の巡視をしていた際、旧校舎二階にある被控訴人学級担任の一年D組の教室の廊下側壁のテツクスがだいぶ破損していたので、同日の授業終了後職員室において被控訴人に右巡視の結果を話すとともに、右教室の廊下側の壁が破損して穴があいているのは教育上、環境整備上生徒によくない影響を与えるから良く管理するよう注意をしたところ(被控訴人が右壁の破損に関して同校長から注意を受けたことは被控訴人も認めるところである。)、これに対し被控訴人は「学校の管理をするのは教育委員会ではないですか。」と質問したので、同校長が、基本的には教育委員会であるが直接の管理は校長が一部委譲されている、被控訴人担任の教室の廊下側の壁が破損しているので申した旨答えたところ、被控訴人は「それでは私のクラスの生徒がやつたという確証がありますか。」と反抗的態度で反問したことを認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

<証拠>によると、右のような教室の壁のテツクスの破損は、被控訴人担任の一年D組教室だけでなく、程度の差はあれ同じ旧校舎の他の一年A組、B組、C組の教室にもあり、一年D組教室廊下側の壁の破損の原因がD組の生徒によるものかどうか必ずしも明らかでなく、また、学校には管理部に属する営繕修理担当の職員(教諭)がいることが認められる。しかし、およそ学級担任の教諭であるとすれば、担任教室の管理一般に注意し、破損箇所があれば、上司の指示を待つまでもなく営繕修理担当の職員に連絡して適宜の処置を講ずるとともに、どの生徒が破損したか判らないにしても、生徒に対し壁を破ることのないよう注意すべきは、教育上当然のことであつて、田口校長の指示がその点にあつたことは容易に理解できる筈のものである。されば被控訴人の反問は、自己の職務を正解しない発言であつて、理由のない拒否的態度と判断されたのもやむをえないし、また、他人の言を理解してこれを受入れる寛容さのない攻撃的な性格の一端を示すものと認めることができる。もつとも、<証拠>によれば、被控訴人はその五日位後に前記テツクスの破損箇所に画用紙を張つて自らその修繕をした事実を認めることができ、この事実からすると、被控訴人は前記のように一旦拒否的態度を示したものの、その後右命令の趣旨を一応理解してこれに従つたものと推認するのが相当であり、これを落書き用の紙張りと同視し、修繕に価しないものと非難するのは相当でない。

2  (同1、(1)の(ロ))授業中の生徒無断出入等の黙認、乱雑な板書

<証拠>を総合すると、被控訴人は、六月一三日千葉県教育庁東葛飾地方出張所指導主事の学校訪問があつた際、自己担任の一年D組のホームルーム指導の授業中生徒の中に着帽のままの者がおり、また用便のため無断で教室を出る者があるのにこれを見逃していた事実があり、また、被控訴人が乱雑な板書で指導をしていたことを認めることができ、<証拠判断省略>更に<証拠>によれば、入学式当日の一年D組の学級懇談会の席上担任教諭である被控訴人から「授業中外に出てもよい。弁当を食べたければ食べてもよい。」などという発言があり、父兄として列席していた右倉持は「この先生には任せておけない。」との感想を抱いた旨の供述があり、その被控訴人の発言の真意がいかなるものであつたかはなお考量の余地があるとしても、右証言は<証拠>の「キリツ礼なんてくだらないことやつても、本もひろげずうしろでさわいでいるやつもいる……」等の記載や<証拠>中のその余の記載とあいまつて、被控訴人の日頃の生徒に対する指導態度が、しつけの面でだらしないことを裏付けるものであり、このような指導態度が、小学校を卒業したばかりで、まだ成長途上にあり、規律と礼節の涵養を要請される中学一年生に対する指導に対する指導として極めて適切を欠いたものであることは教育条理に照らして明らかである。

3  (同1、(1)の(ハ))PTA懇談会における無許可発言

被控訴人が六月二五日に開催された我孫子中学校第二小学校区のPTA懇談会において校長の許可なく発言した事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右懇談会は第二小学校講堂において開催され、職員と父兄が向い合うような形で対席し、意見の交換等が行なわれていたこと、その席上父兄の一人から「ある学年のある学級で生徒の喧嘩を一人の先生は見ており、他の先生は止めたという事実があるが、我孫子中学校の職員の間には教育指導上意見統一ができていないのではないか。」との質問があり、このとき被控訴人が、この質問を後記8認定の一年D組の教室であつた生徒の喧嘩であると思い、父兄席の後方からにわかに立上り、右喧嘩の経緯について発言をしたこと、この発言は、それまでの学校側の発言が校長を中心に父兄側に向つて行なわれていた中で校長の何らの指示もなくいきなり父兄席の後方からなされたところから、田口校長は慌て、しばし異様な雰囲気になつたが、同校長がやむなく「やはり考え方の相違で直ぐ止めるものもあり、しばらくたつて止めるものもあるだろう。」との趣旨の答弁をしてその場を納めたことを認めることができる。<証拠>中被控訴人が我孫子中学校では意思統一が出来ていない旨述べたとする部分は右経過に照らして信用することができず、また、<証拠>中、学校側の発言の順序や方法等に慣例などなく、前記被控訴人の発言も何ら不自然なものではなかつたとする点はそのまま信用することはできない。

もとより前記の会合は懇談会であるから、父兄側、学校側において適宜議題に応じて何人も発言する機会を与えられているはずであるが、前記父兄の質問は、学校内の職員間に喧嘩を放任するかしないか、生徒指導上の方針に不統一があるのではないかというものであるから、右質問の性質に鑑み、責任ある立場の校長ないしそれに準ずる者の答弁を求められていることは即座にわかるはずであり、被控訴人がまず前記喧嘩の経過、顕末を説明するにしても、学校側の責任者たる校長の許しを得てするのが順当というべきであり、この手順を省いた被控訴人の発言はその意味において軽率であり、当を得たものとはいえないけれども、<証拠>によれば、自己担任のクラスのことで父兄に問題を起こさせた責任上、自分と菅谷先生との意見が違うものではない旨を釈明するためにしたことが認められ、それが年若い未経験な被控訴人によつて他意もなくなされたものであることを勘案すれば、校長の許可を得ないでした前記の発言自体を特に責めるには価せず、従つて右の言動を通して被控訴人の性格を云為することは相当でないものというべきである。

4  (同1、(1)の(ニ))教室の掃除時間の変更

我孫子中学校においては当時、各教室の掃除を朝と放課後の二回に実施するように定められていたところ、被控訴人がその担任の一年D組について昼休みに一回掃除させることにした事実は当事者間に争いがない。そして、<証拠>を総合すると、六月頃になつて生徒の間から放課後のホームルームの時間を長くしたい、掃除は仕方を良くして昼休みに一回やればよいのではないかという声が起り、そのように生徒の意見がまとまつたので、被控訴人も担任教諭としてこの生徒の自主的な発議を尊重すべきものと考え、一年の学年会にこの案を諮問したところ、当分の間試験的に一年D組でこれを実施することになり、当時の学年主任岩佐教諭がその旨田口校長の承認を得、被控訴人は右趣旨で早速これを実施に移したこと、田口校長はその成果について何ら報告がないし、校内全体の決まりがあることも考えて前記岩佐学年主任にその中止方を命じたが、同主任は、被控訴人のクラスでの放課後のホームルームの実状などを考えて、右校長の命令を被控訴人に伝達しないでいたこと、一年D組の昼休みの掃除はその後しばらく同組教室が旧校舎にあつた六月下旬まで行なわれたが、プレハブの仮校舎に移つてからは教室の汚れがひどいことなどから自然元の朝と放課後の二回の掃除に復したこと、以上の各事実を認めることができ、前掲各供述中この認定に牴触する部分は採用しない。

即ち、右経過から明らかなように被控訴人の試みた一年D組の昼休み一回の掃除は当時の学校全体の決まりと異なつたものであるが、被控訴人はその試験的実施を学年会及び校長の承認を得て行なつているので、それ自体何らとがめる筋合のものはなく、また、校長の中止命令も結局伝達されないままとなつたのであるから、その命令違反を問責する余地もなく、強いて言うならば、試験的な実施をしたクラス担任の教諭としての立場上、その成果等についての時宜を得た報告が学年会等においてあつて然るべきであり、この点でいささか責任感の欠如があるとの評価は肯定せざるを得ないが、軽微な問題であつて、このことから被控訴人の態度を云為することは当らない。

5(同1、(2)の(イ))学年会での自己主張固辞

<証拠>を総合すると、被控訴人は四、五月頃の教師の学年会において、生徒指導上の校内の規則について話が出たときに、規則というものは教師が作るのではなく、生徒たちの体験で作るものであると強く反論し、その話のついでに「人殺しもやつてみなければわからないのか。」と尋ねられて「そうだ。」と答えた一幕もあつた事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

もとより被控訴人が殺人を容認するとは思わないが、被控訴人は非常識な結論になつても、なお自説に固執し、反省心に欠けるかたくなさが認められるとともに、生徒に対する指導面では、極端なまでに生徒の意思と体験とを重んじ、校内の規律はこれを無視しても構わないという思考態度さえ窺われ、心身の未熟な中学一年生に対し、すべての規律を守るよう積極的に指導する意欲に欠けるものと判断される。

6  (同1、(2)の(ロ))掃除時間変更の中止

前示4において併わせて判断したとおりである。

7(同1、(2)の(ハ))教育課程(理科)の進展

控訴人らは、被控訴人の担当教科(理科)の進度について、被控訴人がその中の自己の専門分野(生物地学)のみを進め、他を遅らせていた旨主張する。

<証拠>によると、昭和三七年第一学期当時の理科担当教師は、葛西、豊島、石井及び被控訴人の四教諭であり、うち葛西教諭が理科主任となり、被控訴人は豊島教諭と共に一年全六クラスの半分三クラス宛の第一分野(物理化学)と第二分野(生物地学)を、そのほかに三年の第二分野を担当し、一年の年間指導計画表は先輩の右豊島教諭が作成して豊島、渡部両教諭名で提出したこと、被控訴人は東京教育大学林学科の出身で第二分野を専門分野としていたことを認めることができ、この認定に反する証拠はない。

<証拠判断省略>他に、被控訴人ら主張の事実を肯認するに足る証拠はない。

8  (同1、(3)の(イ))健康診断前の生徒の喧嘩

<証拠>を総合すると、五月一四日午後生徒の健康診断が実施され、被控訴人は旧校舎二階の一年D組の教室で生徒に掃除をさせながら同組の順番が来るのを待つていたところ、生徒の篠原正と鎌形某の二人が喧嘩を始め、その喧嘩は取つ組み合いから床に転んでもみ合いとなり、掃除のため机の大半が片寄せられていたこともあつて、広くなつた同教室内の床上で二人がもみ合いを続け、その周囲を大勢の同僚生徒が取り囲んで見物し、被控訴人もそれを承知しながら制止することもなく数分の間様子を見ていたこと、その頃学年主任の菅谷教諭は健康診断の会場に居てその進行の手配をし、次の順番になる一年D組に三回程生徒を遣わして同組生徒の受診を促したが、来ないので、自ら同組教室に呼びに行つたところ、「先生喧嘩をしています。」と女生徒二人に告げられ、教室内に入ると、馬乗りになつて激しくもみ合つている喧嘩の場面を目撃し、異常な雰囲気を感じ、担任教諭の被控訴人が附近に居るのも気付かず、いきなり二人の襟首を掴んで起し、往復びんたを加えて喧嘩を制止し、生徒一同を前記会場に向わせたこと、このようなことがあつて同日最終時限のホームルームの時間中に、被控訴人の指示を受けた一年D組の生徒二、三人が職員室の前記菅谷教諭のところに来て、なぜ生徒を殴つたかと詰問し、同教諭がその理由を説明してようやく帰すという出来事があつたこと、以上の各事実を認めることができ、<証拠判断省略>。

被控訴人は、原審における本人尋問において、右生徒の喧嘩を見ながら制止しなかつた点について次のように弁明する。即ち、被控訴人は、かねてから生徒に、先生も生徒も暴力は絶対いけないと教えていたうえ、生徒の喧嘩は怪我などの事故が発生しないようにしなければいけないが、喧嘩も終り方によつては非常に教育的に意味があることもあり、危険さえなければ、それをどのように終わらせるか喧嘩をしている生徒のためにも考えなければいけないと思つている。前記の喧嘩は大怪我になることもないだろうとの判断から、その状況を窺いながら制止の時機を見計らい、また、それを見ている周囲の生徒の態度も同時に観察し、それが同日のホームルーム指導の課題になるだろうと考えているところを、菅谷先生に制止された、というのである。

いうまでもなく、喧嘩の制止、仲裁はその状況に応じ、機を得た適切なものであることを要するわけであるが、それも程度・内容によりけりであり、規律ある団体生活の中で暴力を否定し、道義を教える生徒指導の立場からは、できるだけ速かに制止の態度をとるべきが当然である。前認定の事実関係からすれば、生徒二人の喧嘩は始まつてからすでに数分を経過し、それも、立つたままのこづき合いや取組み合いではなく、興奮のあまり床上で激しくもみ合つているというのであるから、不測の負傷事故発生の危険がないとはとうてい断言できず、その状況も、女生徒が「喧嘩をしています」。と訴えるほど異様で緊迫した雰囲気にあつた点を勘案すれば、もはやその喧嘩は終わり方の意義を考え、見物する生徒たちの態度を観察していてよい状況にあつたとは認められない。従つて、右のような状況に立ち至るまで被控訴人が何ら制止をしない態度は、父兄にとつて不安であることはいうまでもないことであつて、担任教諭として生徒指導上適切な措置を欠き、配慮を失したとの非難は免れない。

そのうえ被控訴人が、当日のホームルームで喧嘩を制止した菅谷学年主任の当該生徒に対する暴行を課題に取り上げ、自組の他の生徒を右菅谷主任のところまで詰問に向かわせたというものも看過することのできない問題である。もちろん菅谷教諭の右制止直後の暴行もそれ自体非とされるものであるけれども、そこに至つた動機といきさつからすれば、その原因は被控訴人が自らその監督下にある生徒の喧嘩を止めるべくして止めなかつた教諭としての怠慢にあり、一半の責任があるのであるから、右は他を責めるに急で自己の非を省みない不遜な態度というほかなく、殊に生徒をして詰問に向かわせるごとき行為は、生徒の自主的の意思の名の下に菅谷教諭を非難し、自己に対する非難をかわそうとするものと考えられ、著しく教育上の配慮に欠けたものといわねばならない。

また被控訴人は「この喧嘩をホームルーム指導の議題にしようと考えていた。」というが、眼前の暴力に及んでいる前記のような喧嘩までも教育材料にするため見ていたということは、教員として本末顛倒であり、生徒の体験のみを重んじようとする被控訴人の偏つた指導態度の現れと考えられる。

9  (同1、(3)の(ロ))特別教育活動における指導態度等

<証拠>によると、被控訴人は六月頃のグループ活動(特別教育活動)においてリーダーを指導する際、教室の中でたばこを吸つてその灰を牛乳瓶の中に入れ、机に白墨で書きながら指導をしていた事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、課外の特別教育活動とはいえ、規律と厳正を保つべき教室内においてこのような指導態度が好ましくないことは明らかであろう。しかし、別に控訴人らが主張するように、被控訴人が教室で教卓に腰を掛けて指導していたと認めるに足りる証拠はない。

10  (同1、(3)の(ハ))一部生徒宅に対する家庭訪問と図書の無断持出し、

控訴人ら主張のように、被控訴人が一部生徒宅のみの家庭訪問をした事実を認めるに足りる証拠はない。

<証拠>を総合すると、被控訴人は夏期休暇中の八月頃当時閉鎖中で持出禁止になつていた我孫子中学校の図書館の図書の一部を、その整理に当つていた図書係の菊池教諭の承認を得て持ち出し、それをリユツクサツクに入れて在宅中の生徒に読むよう巡回指導をしていた事実が認められ、その行為は多分に独創的で教育に対する熱意の一端を示すものであつて、咎め立てするのは当らない。

11  (同1、(4)の(イ))出席簿の記帳

<証拠>によると、被控訴人が作成した一年D組の四月ないし八月中の出席簿には、学年・学級・生徒名・番号などに記載漏があるほか、日々の欄に事故欠席の記載をしながら月の記録欄には病気欠席としたり、休日欄の朱線を定規を用いず手で引いたり(この点は間もなく庄司教頭の指導で改められた。)、四、五、六月の各合計欄の平均出欠席人員数、出席歩合等を間違つて記載するなど、被控訴人の出席簿の記帳は他の教諭のそれと比べて非常に粗雑で、誤りが多く、また、六月一三日になつても同月分の出席簿に最も重要な生徒名を全く記入していなかつた事実のあることが認められ、この認定を動かす証拠はない。

ところで、出席簿は生徒の出欠席、その病気・事故等を把握し、学級生徒の管理上必須のものであつて、教師に課せられた本務に随伴する重要な校務処理に関する事務であるから、その記帳に正確を要求されることは当然の事理というべく、被控訴人のように新採用の教師であつて、当初多少の不慣れはあつても右の重要性についての認識に差等があるべきはずはない。しかるに、出席簿には生徒の氏名を記入しておくという初歩的でしかも基礎的な事項さえ一三日間も怠つていたことは、軽視できない事柄であるし、<証拠>を総合すると、出席簿の記入要領については右書面が出席簿に添付されるなどして便覧に供され、また、学年当初の頃先輩教諭から記入要領等の指導があつたものと認められるのであり(<証拠判断省略>ただし、四月分の合計欄は菅谷教諭の指導によつてもなお計算上の誤りがあつたと認められる。)、それにもかかわらず被控訴人の記帳には顕著な誤りと粗雑さが目立つていたのであり、これは被控訴人自身原審において供述しているように、帳簿類の記帳そのものを軽視していた被控訴人の心構え自体の問題のほかに、教師として一般的に必要な事務、整理能力の欠如を窺わせる一面のあることを見逃がしえない。もとより前記のような記入上の誤りが他の教師において皆無でないことは<証拠>によつて窺えるが、それは被控訴人のそれと同一に論ずべき限りでない。

12  (同1、(4)の(ロ))宿日直日誌の記入

<証拠>によると、我孫子中学校には宿日直簿を兼ねた学校日誌の簿冊があり、被控訴人は五月一日から九月二五日までの間に日直を四回、宿直を一六回行ない、その都度日直、宿直の日誌を付けていたが、右日直日誌の中には当日の生徒の欠席数の合計を誤つたものが一回(五月一五日火曜日)、一部記入事項を欠落したため他の教諭が埋め合わせの記入をしたものが二回(六月一五日金曜日、七月一六日月曜日)あり、また、宿直日誌の中には巡視時間と異常の有無について記載を欠くものが二回(五月二四日木曜日、同月三〇日水曜日)、巡視時間の記載を欠くものが二回(六月一七日日曜日、同月二二日金曜日)あること、右の宿直日誌などは最初は普通に記載されていたが、次第に粗略になつたことを認めることができ、この認定を動かす証拠はない。もつとも、<証拠>によれば、日直日誌に記入すべき生徒欠席数の誤記や宿直日誌に記載する巡視時間の記入漏れなどは、斎藤茂教諭が六回も巡視時間を記入しない例があり、他に二、三の教諭にもその例がないでもないが、被控訴人は斎藤茂教諭とならんで他に比して粗雑であるとの非難を受けざるをえない。

13  (同1、(4)の(ハ))履歴書提出の遅延

<証拠>によると、我孫子町公立学校職員服務規定第五条により、職員は着任したときに履歴書その他の書類を校長に提出する義務があり、被控訴人は着任後間もなく田口校長からその用紙を貰つて右履歴書の提出をすみやかにするよう指示されたのに、納得できる事由がないのに履歴書を提出せず、同校長の再三の督促の結果七月上旬になつてようやくこれを提出した事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。これは職員としての職務上の怠慢であるとともに、格別理由もないのに、上司の指示を容易に受入れない性格を露呈したものと考えられる。

14  (同2、(1))宿直勤務の怠慢

被控訴人の付けた宿日誌に巡視時間の記載のないものが五、六月に前後四回分あることはさきに認定したとおりであるが、そのことから被控訴人が、指示された三回の校内巡視を怠つたものと直ちに推認することはできない。

<証拠>を総合すると、被控訴人は当時独身で我孫子町内に下宿住まいをして我孫子中学校に通勤していた者であり、従つて、宿直日の夕食時には庁務員の島田寛二に留守番を頼んで校外の食堂に出かけていたが、六、七月頃その外出時間が普通以上に長く、一時間以上も空け、七時半か八時になつて、やつと戻るので右島田が困り、庄司教頭にその旨を訴えた事実が認められる<証拠判断省略>。

もとより宿直員といえども、その勤務に支障がない以上その不在時間の留守番を庁務員等に依頼して必要相当な時間夕食のために外出することはやむをえないところであるが、それを超えて不在の時間を長くし、しかもそれを度々繰り返したのは、職務に対する責任感の欠如の一端を示すものということができる。

15  (同2、(2)の(イ))会議中のオルガン

16  (同2、(2)の(ロ))部会等不参加

右15、16については後記18と併わせて判断する。

17  (同2、(2)の(ハ))上司の指導に不服従

控訴人らは、被控訴人が上司の指導についても従わない旨主張するところ、<証拠>によると、我孫子中学校では前年昭和三六年に放火による校舎の火災があつてその大半を焼失し、教室不足のため昭和三七年度の新学年も一年の七組編成を臨時的に六組に圧縮編成して授業を行なつていたが、所轄の地方出張所から届出済みのとおり七組編成による出席簿を作成・提出すべき旨指示され、庄司教頭がその協力方を被控訴人に求めたが、被控訴人は別に七組編成用のものを作成する必要はないはずだとしてそれを強く拒否した事実が認められ、その他、田口校長による一年D組教室の廊下側壁のテツクス破損の管理命令に対して直ちに応せず、五日位後に自ら修繕したことは前記8認定のとおりであり、上司の命令に往々従わないことがあつた事実が窺われる。

18  (同2、(2)の(ニ))朝の打合わせの欠席

前記15、16と18について併わせて検討するに、<証拠>によると、被控訴人は、一年の学年主任が菅谷教諭から岩佐教諭に変つた六月初頃、学年会議のため各学級担任の教諭が揃つたのに、岩佐教諭がその席にいながら、他の用件の打合わせをしたため、学年会議の開催が遅れたことに憤慨し、席を立つて近くにあつたオルガンをひき鳴らし、豊島教諭の注意を受けたこと、更に、被控訴人は自己の属する教務部会や授業開始前に行なわれる朝の打合わせ会に余り参加せず、他の欠席教諭とともに注意を受けても参加が少なかつたこと、そして出席した席では自己の意見をとことんまで主張し、それも相手をつるし上げるような口調であつたことを認めることができ、<証拠判断省略>。右のような被控訴人の言動は、我がままであり、また攻撃的で他人の言をきく寛容さのない性格を何よりも示すものである。

19  (同2、(3))麦わら帽子の着用等

<証拠>を総合すると、被控訴人は七月頃女子用の赤いネクタイを巻いた麦わら帽子を被り、下駄履きで登校し、朝礼時にもその姿で列席し、生徒会長の脱帽の号令がかかつても脱帽しないので、校長がそれとなく合図したがそれに従わず、庄司教頭はまた別の機会に下駄履きの点を注意したこともあり、更に、被控訴人は首にタオルを巻いたまま教室に入つたということもあつて、これら行状のうち麦わら帽子を着用した点について、被控訴人は、夏の直射日光を遮ぎるためであるとか、保健衛生上無帽はよくないと弁明していた事実が認められ、以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。

しかしながら、およそ義務教育を担当する学校職員は生徒に対し、初歩的なしつけ・規律を守るよう指導すべき立場にあり、従つて教場その他直接生徒の指導にあたる場所においては、先づ教員自らが異様・奇抜な服装を控え、節度ある服装をするよう求められるのは教育上の条理、社会通念に照らして当然というべく、またそれは教師として自覚の問題でもある。然るに被控訴人は、独自の考えから前記のような服装をし、その上朝礼の際脱帽しないなどは常識に反し、自覚に欠ける点があつたとの評価は受けざるをえない。

二<証拠>によれば、我孫子中学校長田口弥一郎は昭和三七年八月一日被控訴人の勤務評定を行ない、その結果被控訴人つき、(A)職務の状況として「(1)学級経営は一貫性なく適切でない。(2)学習指導は一層の努力を要する。(3)生活指導は粗雑で指導性が足りない。(4)校務の処理は極めてまずい。」、(B)服務の状況として「(1)責任感、(2)協力、(4)公正、(6)規律はいずれも十分とはいえない。(3)積極性、(5)研究心は普通」、(c)適性・能力のうち指導力についての留意すべき事項として「常軌を逸した言動が指導にも現われている。」、(D)特記事項として「勤務中の容儀や態度等についてその都度注意したが反省して改める態度が見当らない。履歴書、出席簿等自己の身分や学級の事務整理が粗漏であり、注意、督促等が再々度にわたつたことあり。」、(E)概評として「無軌道なものの考え方や自由人としての生活態度をもつて事を律し、教育を実施している。」との評価をし、結論点に被控訴人が公立学校の教員としての適格性を欠いていると評定し、更に我孫子町教育委員会教育長吉植三郎は、同月二〇日被控訴人に対する右勤務評定の調整をした結果、同様被控訴人が公立学校教員としては不適格であり、解職が相当である旨評定し、同町教育委員会はこれを承けて同年九月二五日控訴人委員会に対し被控訴人の解職を内申したところ、控訴人委員会は任命権者として被控訴人が勤務成績不良で公立学校教員としての適性を欠き、引続き任用しておくことが適当でないと認めて、被控訴人を本件解職処分に付した事実が認められる。

第四本件解職処分の適法性

右のように条件付採用職員である被控訴人を適格性に欠けるものとした控訴人委員会の判断を、前項で認定した事実関係に照らして考察してみるのに、控訴人がら右判断の根拠として主張する事実の中には、6・7・10のように証拠上これを認めることができないもの、また、3・4のようにほぼそれを肯認できるもののその評価において適格性の判断に直接かかわりがあるとは認められないものがある。また前示の認定の証拠関係からは、逆に被控訴人には、学習、生活指導において生徒の自主性を重んじ、対話と接触を通じて成果の向上を目指し、従つて、特別授業のホームルームも他の教諭に比べて活発なものとし、また、夏期休暇中に学校の図書を持出して巡回指尋をするなど、新任教諭として若さと熱情をもつて生徒指導に望んでいた一面のあることを窺い知ることができる。

しかし他方、控訴人ら主張の事実関係中、肯認できるもの、即ち1・2(職務の状況に関する(1)学級経営(イ)・(ロ))、5(同(2)学級指導(イ))、8・9(同(3)生活指導(イ)・(ロ))、11・12・13(同(4)校務処理(イ)・(ロ)・(ハ))、14(服務の状況に関する(1)責任感)、15・16・17・18(同(2)協力(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ))、19(同(3)規律)―ただし、右のうち9・12・14・19については各一部に証明のないものがあることは前示のとおり―から総括できることは、学習、生活指導或は学級経営等において生徒に接する授業態度、心構えが、教員としての節度を失し、自覚にも欠け、時には放縦で無軌道でさえあること、その考え方は極端に経験を重んじ校内の規律や規則を軽視し、その節度のなさは服装などにも現れていること、また、自ら指導監督すべき立場にありながら教場内の生徒の喧嘩を目前に見て放置、傍観し、自らは責任ある解決を計らないで、生徒らの自主的判断に委ねると称して右喧嘩を制止した他教諭に非難を向けさせるなどその挙措は不遜で非常識であること、更に、校務・教務に関する校長など上司の命令や同僚職員との協議に際し、自己の主張のみを固辞し、感情をあらわにした反抗的、攻撃的言動で応酬し、素直な反省・服従がなく、従つて非協力的で協調性に乏しい性格であること、校務処理は粗漏・杜撰で宿直勤務中も必要以上に席を空けるなどルーズな点があり、それが自己本位的な性格に根ざした服務上の怠慢と責任感の欠如に由来していること等々である。

そして、被控訴人の右のような指導態度・性格・思考・素質等は、いまだ精神的に未熟で人格形成の途上にあり、団体学習生活の中で規律と礼節を保ち、真の意味の自主と協同の精神、正しい情操と公正な判断力を涵養すべき義務教育年限の生徒を対象とする教員の適性を損う要素であることは明らかであり、従つて、控訴人委員会が右の指導態度・性格・素質等を有する被控訴人につき、その実状に照らして全体として勤務成績が不良であるとし、かつ、千葉県公立学校(中学校)の教員としての適格性を欠くものであるとして評価したのは首肯することができ、この評価は前示勤務評定書の結論とも符合するものということができる。しかしてまた、以上の評価は、専門職である教員の自主性・主体性(教育の自由ともいわれる。)を勘案し、前述のように被控訴人の教科の知識に劣ることがなく、教育に若さと熱情を注ぐ一面のあつたことを参酌しても異なるところはないというべきである。

そうすると、条件付採用職員である被控訴人を、千葉県公立学校教員としての適格性に欠け、引き続き任用するのを相当でないとして解職することとした控訴人委員会の判断は妥当であり、かつ、前述の事実関係に照らし客観的、合理的理由があつて社会通念上相当と認めることができるから、右判断に基づいてした本件解職処分が控訴人委員会においてその裁量権の行使を誤つてした違法のものであるということもできない。

第五不当労働行為及び処分権乱用の主張について

<証拠>を総合すると、被控訴人は千葉県公立学校(我孫子中学校)教員に条件付採用職員として採用されると同時に、職員団体である千葉県教職員組合に加入し、同組合の東葛飾支部我孫子中学校分会に所属して組合員の一人として活動していたこと(右組合加入、支部分会所属の点は争いがない。)、千葉県の中学校においては前年に引き続き昭和三七年七月一一、一二日の両日にわたり中学校二、三年を対象に全国一斉学力テスト(以下学テと略称する。)が実施されることになつていたが、組合としては学テ反対の立場をとり、東葛飾支部も同年六月学テ反対及び採点業務拒否を決議し、我孫子中学校分会もその決定に従う態度をとつていたところ、被控訴人は右分会での討議の席上、基本的には同様反対の立場にあつて、学テ反対の真の理由を更に十分討議し、下部組合員の力を結集して反対行動を起こすべきであると発言したこと、学テは予定どおり実施され(この点は争いない。)、被控訴人も我孫中学校三年C組教室の監督員として立会つたこと、学テ実施の結果同中学校三年B組、D組の生徒の中から多数白紙答案が提出され、これが組合員の扇動によるものではないかと取沙汰されるかたわら、学テ終了日の七月一二日分会の職場会が開かれ、白紙答案を提出した生徒を教師側でどのような評価すべきかについて討議された際、被控訴人は、生徒らの自主的な組織と行動に基づいて白紙答案が提出されたのであればそれはすばらしいことであると述べて注目されたこと、次いで同月一九日の職場会において、多数の白紙答案が出た前記三年B組、D組の各学級担任である、葛西、金子両教諭を守る問題とからめて、学テ採点業務の拒否闘争を更に強化することが決議され、同月二一日に開催された千教組拡大執行委員会において、東葛飾支部我孫子中学校分会から右闘争強化が提案されたが、結局否決されるところとなり、同会場に組合員として出席していた被控訴人は、執行委員会のメンバーに対し「皆さんのご出世をお祈りします。」という皮肉めいた発言をして反発を買う場面もあつたこと、その後なお我孫子中学校においては学テ答案の採点者指名に関する校長の業務命令が組合側との約束に反するとして紛議があつたが、結局業務命令に基づいて学テの採点も終り、その頃学校は既に第一学期を終了し、夏期休暇に入つていたこと、その間同中学校では火災後の校舎新築工事が完了し、新校舎完成に伴つて第二学期初頭学級編成の組替えが行なわれ、同年九月一日朝、田口校長から新たに学級担任教諭が発表されたが、その際前記葛西、金子両教諭と被控訴人が学級担任をはずされたこと、その理由は、葛西、金子両教諭についてはその担任学級から多数の白紙答案が出た責任を問われたものであつたが、被控訴人については、その質問に答えて同校長から「出席簿などの事務処理が悪い。今後は教科に専念してほしい。」と説明があつただけで、それ以上理由の説明はなかつたこと、その一か月後の同年九月末被控訴人は本件解職処分を受けるに至つたのであるが、その理由について右処分後控訴人委員会から被控訴人に対し、①校長の命令をきかない、②校務の処理が粗雑である、③生徒指導や扱いに問題がある、の三点が内示されたこと(この事実も争いがない。)、以上の各事実を認めることができ、この認定を覆えすに足る証拠はない。

<人証>は、被控訴人が学級担任をはずされ、更に解職にまでなつたのは、前記のように学テの反対闘争や白紙答案の問題に関連し、被控訴人が組合員として特に活発に行動し、特異な発言をしたからであるとか、それらの問題で活発な組合活動をした分会に対する報復手段として条件付採用職員である被控訴人が狙われたものである旨供述するけれども、これらの供述に確たる根拠があるとは認められないのみならず、被控訴人は一組合員にすぎず、組合の役職にあつて反対運動を推進したわけではなく、また、白紙答案の出た学級の担任ではなく、これと直接関係はなかつたのであつて、被控訴人が学テ反対、採点業務拒否の態度をとつたのも東葛西支部我孫子中学校分会員として他の組合員と全く同じであつたのであるから、被控訴人の前記のような言動、特に白紙答案提出の生徒を賛辞するごとき意見を述べたことが学級担任の除外や本件解職の理由に連つているとはとうてい考えられない。

もつとも、<証拠>には、我孫子町教育長吉植三郎が偶然町内の食堂で前記分会に属する二、三の教諭らと出会つた際、被控訴人に対し「学テ白紙の生徒をほめるようなことは首を覚悟してやれ。」と語つた旨の供述があるけれども、仮に当時右吉植教育長から私的な会話で右のような言葉があつたとしても、これまで述べた通り、被控訴人が熱心な組合活動家とは認められない反面、公立中学校の教員としての適格性を欠く事実とをあわせ考えると、右吉植教育長の言葉と本件解職とを結び付けることは相当でないと言うべきである。

むしろ、<証拠>よつて明らかな被控訴人に対する勤務評定の内容、同評定書進達の経緯からすると、本件解職処分は、控訴人委員会が、勤務評定書とその他の調査資料<証拠>に基づいて、条件付採用職員の適格性欠如を理由になしたもので、被控訴人のした組合活動を理由とするものではないと認めるべきである。

されば被控訴人の不当労働行為の主張及び学テに関する一連の問題で活発に行動した我孫子中学校分会員(特に葛西、金子)の組合活動を理由に同分会に対する報復手段としてなされたものであるとする処分権乱用の主張は、いずれも当を得ないものといわざるをえない。

第六結論

よつて、控訴人委員会がなした被控訴人に対する本件解職処分は適法であつて、その違法を理由に本件解職処分の取消を求める被控訴人の控訴人委員会に対する請求(原審昭和三七年(行)第六号事件)、それを前提として給料の支払を求める被控訴人の控訴人千葉県に対する請求(原審昭和四二年(行ウ)第一七号事件)はいずれも失当であり、従つて、これと判断を異にする原判決は相当でないから、控訴人千葉県の一部勝訴部分を除いてこれを全部取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(室伏壮一郎 小木曾競 深田源次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例